タイムマシーン

嵐が好きな人

”アンリー”を克服した話

 

私は嵐が大好きな潤くん担です。

潤くんが好きでかつネットをやってる人なら”アンリー”って言葉を聞いたことあるんじゃないかな。言葉の発祥はどうやら嵐の先輩グループのファン界隈のようですが、今はあちこちで頻繁に使われているのをみかけます。”アンリー”はアンチ+オンリーからくる造語で、グループの中の一人だけが大好きで、他のメンバーには憎悪を露わにする人みたいな意味で使われています。

 

 

 

私が初めてアンリーを目にしたのは中学生の時、私が潤くんを好きだったからか、その時に見たのは潤くんのことを悪く言うアンリーでした。当時アンチの意味もよく分かっていなかった私は、潤くんに向けられた憎悪の数々に寒気がしました。悪口が延々と書かれているネットのページをなんの意地か閉じることができずに、一番最後までスクロールして読んだことを覚えています。

 

 

その内容は潤くんの考えるコンサート演出を貶すものや、潤くんの見た目や人格を著しく貶めるもの、潤くんが周りに嫌われていることを示すエピソードなど様々でした。内容もさることながら、その量の多さにショックを受けました。

そして、その好きな人へのたくさんの悪口とうまく向き合うことができませんでした。見なかったことにしようとしても、どうしてもその内容に引っ張られてしまう自分がいました。

 

今思えば、それは学生の時の未熟な私は自分に自信がなかったからです。自分に自信がない私は、自分が好きな潤くんにも自信が持つことができませんでした。なので、そういう内容にネットやコンサート会場で出くわす度に当時の私は大きなダメージを負っていて、普段は楽しく嵐、潤くんのファンをしていても、ふとした瞬間に目に入ってしまうアンリーの誹謗中傷に引っ張られないように一々反証を探したり、暴言の倍の数の潤くんの良いところを探したりしていました。また、アンリーはアンチ+オンリーなので、嵐のなかの誰かのファンを名乗っているのですが、潤くんのことをアンチの対象にしているアンリーはあるメンバーのファンを名乗っていることが多いといわれていたため、その人のことをなるべく視界に入れないようにすることで、アンリーをシャットアウトしようともしていました。

 

でも、こんなことを続けていても、アンリーからは抜け出せなくて、むしろ、自分の中でその存在が肥大化していき、アンリーの数が増えているような気さえしたくらいです。

 

そんな風にアンリーをたまに見てしまっては心がヒュッとする時もあったのですが、嵐や潤くんのファンでいるのはすごくすごく楽しかったです。また、年月を重ね、嵐や潤くんの色々な面を見る度に、自分が感じる彼らの存在に厚みが増して、より立体的に感じるようになりました。

潤くんが一生懸命なにかを成し遂げようとするところ、コンサートを作り上げる姿、歌い踊る姿、役を演じるところ、満面の笑み、成功するところ、失敗するところ、、、潤くんが発信してくれるたくさんのものを見て、アンリーの人たちが見ている潤くん像とは全然違う魅力的な潤くんをたくさんたくさん見ました。


色々な潤くんを見ると同時に私自身の精神的な成長もあり、自分の主観と他人の主観を切り離して考えることが意識せずとも自然にできるようになっていきました。 

私が見る潤くんと潤くんを嫌いな人たちが見ている潤くんは全く違う、その相違にいちいち悲しくなったりしなくなりました。


あとは、アンリーの罵詈雑言を見て、こんな思いは本当に私の勝手な思いなのだけれど、潤くんが傷ついているんじゃないのかって勝手に心配していました。そんな独りよがりな想像で勝手に自分で不安になって何かをすり減らしていました。

でも、ある時潤くんはコンサートで"俺のアンチも幸せにしたい"と発言しました。

私はそういう発言をしたというのをTwitterで読んで知っただけだから、どんなトーンで言ったとかは全くわからないし、その場にいたとしても彼の真意がわかることは一生ないのだろうけれど。

潤くんの発言がどのアンチを指しているのかはわからない。でも、彼が彼のアンチと向き合ってなお、相手を幸せにしたいと言った。

潤くんの言葉はきっとたくさんの人の心を軽くしたと思う。


嵐をたくさん見たことと、潤くんの言葉で、私はアンリーを必要以上に気にすることがなくなりました。



そして、今とても申し訳なく思っているのは、大野くんに対してです。


私が見た潤くんをアンチの対象にしてるアンリーは大野くんのファンが多かったのですが、そのため、一時期大野くんとアンリーを切り離して考えることが難しく、大野くんをアンリーと一緒にシャットアウトしていました。

例えば、ネットで検索する時は、アンリーが引っ掛からないように…とか、大野くんのファンが書く感想は見ないようにするとか。

大野くん自身のことは好きだったから、大野くん自身のことは見ているつもりでした。


でも、アンリーが気にならなくなってから大野くんを見るようになって、彼の魅力が今までの何倍にもなって私に伝わってきました。

彼の歌やダンスはそれまでよりすごくクリアに伝わってきて、彼の振り付けもより好きになりました。大野くんの振り付けは緩急が好きです。サヨナラのあとで、TRAP、ついておいで、みたいなアルバム、カップリング曲の大野くん振付曲もまた見たい。彼のプロデュースしたMiles Awayも凄かった。曲の持つパワーをあんなにも引き出す歌割りは大野くんが考えてる。歌詞も素敵だけれど、嵐を直接表す言葉はないのに、彼らの声の重なりで、彼らが歌わないと意味のない曲になった。

嵐にいる大野くんのパフォーマンスも素敵だけど、大野くんのソロパフォーマンスも素敵です。Hit the floor と 暁

と Rain とtake me faraway と…挙げたらきりがないくらいなら好きなソロナンバーはたくさんあります。

忍の国も大好きで映画館に三回も見に行って、Blu-rayも買ったのですが、本当に無門のアクションシーン、彼が叫ぶシーンは本当に圧巻でした。

あとは、大野くんのへにゃんとした眉毛の下がった笑顔もキュートでほっとけない気持ちにさせる。



大野くんの言い尽くせないたくさんの魅力を再発見して、私はアンリーを本当に克服したと思います。

でもその過程で私は大野くんがファンに見せてくれていた魅力的な部分を100%で受け取れていなくて大野くんと大野くんのファンの方々には申し訳ないです。

そして自分自身、とてももったいないことをしていたなと思います。



まとまらない文章をここまで書いたきっかけは、アンリーを見てアンリーの好きな人をまともに見れなくなったという話を見かけたからです。

私も大野くんと彼のファンから目をそらしている時期があったと思い、なんとなくぽつぽつと書いてしまいました。


アンリーが唱える陰謀論は他人の主観におさまらないものもあって、それを許すことはまだできそうにないけど、アンリーの存在は気にならなくなった。潤くんは、嵐は、私にとってはすごく素敵な人たち。


無関係の他人の言葉を必要以上に大きく捉えずに、好きな人を見る目を曇らせずにいたいです。